社会福祉原論の講義でラウントリーの「ライフサイクルと貧困曲線」の図を描いていたら、1899年のヨーク市の市民であったならば、いよいよ自分が還暦(正確には来年)を迎えて稼働能力の喪失に伴い、第一次貧困線の下に入っていくことを痛感した。もちろん、現代は定年制の延長や年金制度によって直ちに貧困に陥ることはないが、マイ・バックページを振り返る歳であることはまちがいない。
1973年の福祉元年に厚生省配属の専門誌記者からスタートして、40歳で厚生省の外郭の研究所に転職し、研究者の道に入った者として、今日の医療・福祉・年金を取り巻く国民の期待と不満は隔世の感がある。高度経済成長の果実をもとにした社会保障制度の創設・充実期には、今日よりも明日は豊かになり、社会保障制度も充実すると誰もが信じていたのである。ところが、1996年に勤めていた研究所は行革の一環で廃止され、その後は仙台・名古屋・博多で大学教員をやり、2005年に本研究科創設のために義塾で働くことになった頃から年金記録漏れや医療崩壊が社会問題化してきた。
なぜこんな事態になったのか、社会保障や医療はもういらないのか等々、その構造と変動のメカニズムはきちんと解明しなければならない。確かに行け行けドンドンの高度経済成長期の制度設計は甘くなりがちである。権利と義務の再調整も必要だろうが、社会保障や医療の充実の推進力をどこに求めるかが基本であろう。豊かな社会のおける新たな貧困の発見とその解決、今こそ「連帯」が問われている時はない。
生活の豊かさと心の貧しさがいわれるが、精神面も含めて健康で文化的な最低限度の生活は戦後の復興の大きな目標であった。果たしてそれは解決したのか、もう一度振り返っても無駄ではない。政権交代に象徴されるように21世紀の社会の方向付けが動き始めたようだ。共に時代の先導者として学ぶ格好の時代である。
(掲載日:2009/10/29)