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2009.09.08

コラボレーションの第一歩|徳田英幸(環境情報学部長)

いつも言われることであるが、年を重ねるごとに、時の経過がどんどん加速されていく。特に、夏休みの時間は、どんどん短くなっている。

今年の夏は、8月31日までにぜひともやりたいことがあった。そう、44年ぶりに富士山に子供たちと登ることである。本当は、子供たちが私と同じ12歳の時に連れていってあげたかったのであるが、気がつけば長男は25歳、次男は22歳になリ、私は、50の半ばを過ぎていた。何とか3名のスケジュールを調整した結果、8/14(土)だけが空いており、ご来光を眺めることができる標準行程の1泊2日をあきらめて、かなりしんどい日帰りの一日登山をすることになった。

早朝午前3時に自宅を出発し、午前4:30分に、交通規制されている富士スバルラインの臨時駐車場に到着した。始発のバスにのり、午前6時10分に5合目に到着した。駐車場では、霧雨状態であったが、5合目では、青空が見え、金剛杖を買ったり、朝食をとったり、高度に体をならした後、6時50分登山を開始した。

富士山登山開始

上りは、各合目の山小屋でゆっくり休憩しながら、ほぼ予定どおりに進み、13:45ごろ山頂に着いた。天候が崩れる場合も想定して、レインウェアやフリースなども準備してきたが、なんと頂上は、強風もなく穏やかな太陽の光に満ちていた。

富士山頂上

火口

山小屋で昼食を取り、残雪の残った火口を見た後、下りについた。実際、私が子供の時は、吉田大沢と呼ばれるところの砂走りを下ったと思うが、何でも、昭和55年に大落石事故があり、現在の下山道が利用されるようになったとのことである。この下山道を下り始めて40分ぐらいで問題が起きた。路面が硬いにもかかわらず、まっすぐ降りていたのが悪かったらしい。腰に負荷がかかりすぎ、腰痛が出てきてしまった。あまりの痛さに立ちすくんでしまった。ストレッチを数回してもまったく効果がなく、長男にザックを持ってもらう羽目になってしまった。その後、降りる際の腰への負荷を極力減らす工夫をし、下山道を直滑降のパスではなく、斜滑降で下りるパスに切り替えて、体の側面に負荷がかかるようにして、なんとか8合目まで下りてきた。登りには全く感じなかった腰の痛みをこらえ、5合目まで下りてきた時にはもう7時をまわっていた。

富士山下山

その後、バスで富士スバルライン料金所の臨時駐車場までもどり、3人で富士急ハイランド横のふじやま温泉に直行し、登山の疲れを癒し、帰宅した時には、夜中の12時近くなっていた。ほんとうにシンドイ一日であったが、家族とともに富士山に再び登れた喜びは感慨深いものがあった。

さて、お題の「おかしらのおかしら」であるが、我々学部長や研究科委員長のおかしらは、慶應義塾の場合は、塾長である。現在は、前商学部長の清家さんが塾長である。おかしらたちは、おかしらのおかしらを含めて、毎月、大学評議会、学内理事懇談会、理事会、評議員会などで顔を会わせる機会があるが、仕事上の話が多く、あまり個人的な話をする機会がないのが実情である。これは、これで、学部問の垣根をより低くし、コラボレーションを進めている我々のような学部にとっては、あまりいいことではないと思っている。実は、清家さんとは、昨年6月に開催された150年記念事業の1つであった環太平洋大学協会(Association of Pacific Rim Universities)のレセプション時に、偶然、同じテーブルに座り、Cal Tech.の学長らとともにいろいろなお話をする機会があった。安西前塾長とかわらず、温和で、非常に学生思いの先生であるという印象が強く残っている。

大学における学部間や教養教育と専門教育の垣根を低くしていき、よりダイナミックな教育研究をすすめていくには、日頃の会議体での話はもちろん、もっとインフォーマルな機会を作っていかなければならないと思っている。SFCに新しく着任された先生方の中にも、どのようにコラボレーションをすすめていくか、試行錯誤している若い先生もいるようであるが、まずは、いろいろな話を他の先生方としていくことから第一歩が始まると思っている。

(掲載日:2009/09/08)