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2009.12.24

年末年始、かかせないもの|國領二郎(総合政策学部長)

何か不便さとか、止まってしまうものがないと、お正月の気分がでない。

それは昔も今も変わらないのだけれども、何が止まるかはずいぶん変わってしまったように思う。昔は、初売りも遅かったし、三が日にはATMも止まってしまったので、年末にはお正月資金を引き下ろすために銀行に走った。母親たちが大変だと言いながら作るお節料理にも必然性があったように思う。そんなことに季節感を感じていた。いまは生活上の不便はだいぶなくなって、便利になったのだが、逆に緊張がなくなって年末始の気分がでにくい。

この10年くらいは、大みそかにネットワークが止まるかどうか見守るほうに季節感を感じてしまったりする。2000年にはいわゆるY2K問題で世界中のシステムが止まるのではないかと言われた。結局大丈夫だったが。そのうちに焦点が携帯メールに移って、年賀メールは自粛しようなんて呼びかけが回るようになった。その延長でいくと、今年の年末はツイッターなのだろうか?この数週間のSFCでの利用者の増えぶりからして、お年賀つぶやきの殺到で、ツイッターをつないでいる仕組みがそこここでパンクするのはありそうな気がする。

道具の変化がライフスタイルや季節感まであっさり変化させていく一方で、動かぬサーバーを忍耐強く待ちながら、一刻も早く新年のあいさつを友人・知人に送ろうとする変わらない姿がいる。そんな矛盾あるのが人間の面白さなのだろうと思う。

世界経済から日本の政治から、ITに至るまで、2009年は、今までの仕組みが大きく変わる前兆だけあって、その先の姿がどんなものになるのかはまだ不透明、といった状況だったように思う。恐らく来年はその姿を具体的に描き出す年になるのだろうと思う。年末始、しばし時間を止めて考えてみたい。

皆さま、本年も大変お世話になり、ありがとうございました。よい新年をお迎え下さい。

(ちなみに、個人的な年末始の最大の季節感の源は、切羽詰まって駆け込んでくる学生諸君の卒業論文だったりする。思うようにデータが集まらなかったり、論理の破たんを見つけたりして、大騒ぎになるのが時々いる。今年は大丈夫かな。みんな頑張ってね。)

(掲載日:2009/12/24)