今学期も無事スタートし、いろいろなバックグラウンドの新入生たちがキャンパスに来ている。私は、植原さんと中澤さんと共に、新一年生にむけての「環境情報学の創造」を担当している。これまでカナダ、アメリカの学部や大学院で授業を担当してきているが、こんなに多くの学生と一緒に授業をするのは、大変なチャレンジである。学部長担当科目ということで、昨年度から格闘しているが、まだまだ改善していかなければいけない事が多い。
「環境情報学の創造」では、我々の研究室で開発した出席システムを導入して、授業の際に"kankyo"というローカルなwifiのアクセスポイントに接続してブラウザから利用してもらっている。ところが、このwifiのアクセスポイントが新一年生には、よく理解してもらえていないようで、キャンパスをカバーしているSFCのネットワーク("000000SFC”)に接続してしまい、システムが利用できない人がいる。さらに、自分のマシンから"kankyo"という新しいアドホックネットワークを設定してしまい、意図的ではないにしろ周囲の学生たちをなりすましの"kankyo"というアクセスポイントに誘導してしまう学生もいる。400人以上もいると本当にいろいろである。この規模でも、講演してくれる先生方となんとかインタラクティブに中身の濃い授業をすすめられるようにいろいろな工夫をしているが、さらなる改善が必要だと思っている。
さて、お題についてである。毎回毎回、いろいろなお題を考えて頂くことも大変だと理解しているが、今回は「死生学」である。正直、あまり正面から考えたことがないのである。
wikipediaによれば、「死生学(しせいがく、英 thanatology)とは、個人の死とその死生観についての学問。具体的には自己の消滅としての死に向き合うことで、死までの生き方を考える学問。」とある。さらに、「死生学が対象とするのは、人間の消滅、死である。死生学の開拓者の一人、アリエスによれば、「人間は死者を埋葬する唯一の動物」である。」 とのことである。
私は、未来学者でも、特異点論者でもないが、以前のおかしら日記(2008/11/14『150年前か後か?』)で紹介したように、Ray Kurzweil氏は、「GNR革命(ゲノム工学、ナノテクノロジー、ロボット技術の融合革命)」によってあらゆる癌などが克服され、人間は永遠の命を得る」と主張している。さらに、彼は、特異点論者として、まったく違和感なく、脳のリバースエンジニアリングが指数関数的に進歩し、人間が持つ生物的な知能と、人間が作り出した非生物的な知能との融合が起きる時代に突入すると主張している。彼のような特異点論者の考え方では、死生学から向きあるべき対象の「死」がなくなり、死までの生き方ではなく、永遠の時に向けてどう生きるかを問う「生学」になってしまうかも知れない。
私のような20世紀型のbeing natural派にとっては、「人の命は、短くて、はかないもの」であり、決して、永遠の命ではないので、「生」の時間を無駄にしないようにと思っている。
(掲載日:2009/06/10)