僕は小学生のとき,超落ち着きのない,超いたずらっ子であったと親は言っていた。確かに,担任の教師にはよく叱られ,廊下にバケツを持って立たされたことが一度や二度ではなかったことを覚えている。今回のおかしら日記のテーマ「贈り物」には,このことと深く関連し,かつ,一生涯忘れられないバツの悪さの一瞬を書き残して,小学6年生のときを懐かしもう。
まず伏線として,当時,習い始めたそろばんを,そのちょっと前に紛失したことがある。
事件当日,いつもどおり,退屈な授業中,隣の友人と,近所の映画館でやっていた潜水艦の映画についての雑談でかなり盛り上がった。が,盛り上がったのはつかの間,直ちに二人は廊下の少年となってしまった。そして二人は,並んで立っているとまた雑談に花が咲くので,教室前後の出入り口に一人ずつ離れて立たされるのが常であった。当日もそうであり,まれに通り過ぎる教員や用務員さんに対しては,いつものように二人でバツの悪そうな顔をして顔を見合わせたりして,ひたすら時の過ぎるのを待った。他クラス生徒が授業中で通らなかったのには,いつも助けられたなという強い感傷が今でも残っている。ここまでは,そう珍しいことではなかった。
さて,もう少し経つと昼休みとなり,立ちんぼ解消というときに,遠くの階段を教員でも用務員でもない大柄のヒトが勢いよく登ってくる。何とそれは祖父だ。しかもそろばんを持って!自分もいたずらっ子であったと自称していた祖父は,事情をいち早く理解したらしく,買いたてのそろばんでそっと僕の頭を叩き,それを僕の足元においてスタスタと帰っていった。当時,祖父は僕のために,植栽をはじめいろいろと学校に寄付していたりして,担任教師も祖父のことは知っていた。が,このときばかりは担任教師もびっくりしたと後から言っていた。それはそうでしょう。こんなことってあるんですね。とにかく,実業家の祖父としては僕にそろばん練習の再開が少しでも早くできるようにとそれをわざわざ買いに行き,少しでも早く孫を安心させ,かつ,喜ぶ顔を見たい一心で学校にまで届けてみたらこのさま。今,つらつら考えると彼のほうが驚いたかも。というのは,彼は上野公園の西郷さん似で恰幅がよく威厳があって,つまり子供心には何となく恐ろしかったので,彼の前では僕は常に「良い子」だったから。
このあと,家路がきつかった。でも,勇気を出して家のドアを開け,控えめに「ただいま」を告げ,家人の反応を見るに,誰も何も言わない。祖父は帰宅後,外出したとのこと。このあとのことはよくは覚えてないが,ひどく叱られた記憶は全くない。翌日,学校へ行ったら,案の定,担任教師をはじめ皆から,「家へ帰ってどうだった?」と尋ねられた。実情を話して皆をがっかりさせたことは痛快だった。
という稀有の体験が,今日の日記となった。爾来,半世紀以上生き長らえているが,これほどびっくりしたことはない。二度としたくないが,人生は分からないからな・・・(了)
(掲載日:2009/02/09)