SFCスピリッツ
「ごみ」に生きる〜小さな町から見えたもの
服部雄一郎さん
某町役場勤務
1999年環境情報学部
私はいま、海と山に囲まれた小さな町の町役場に勤務している。仕事は、ごみの大幅減量。持続可能なごみ処理の模索と、大量消費社会からの転換に、末端から取り組む日々だ。
思えば、不思議な縁だった。SFC時代は、何の気なしに聴講したフランス語のクラスがきっかけで、パリ第3大学へ留学。大学院では、翻訳論を専攻し、言葉をめぐる思想の複雑さ・奥深さと格闘した(※)。修了後は、パリでうつつを抜かした劇場通いの縁で、国際交流基金の舞台芸術交流担当に。都会のオフィスで、劇場を渡り歩き、海外大使館とやり取りしながら、時にはバイカル湖の畔までアーティストを連れて行く・・・。そんな恵まれた生活に終止符を打ったのは、SFCの同級生との間に生まれた一風変わった我が子の存在、そして、もっと素朴な生活の手ごたえへの内なる希求だったように思う。
海辺の町へ――何かにつき動かされるようにして引越しをした後は、すべてが急展開だった。手仕事をする新しい友人たちに囲まれて、自分たちも菜食を生かしたイベントをスタート。夢のような高揚感の中、わずか3ヵ月後には、長距離電車通勤に別れを告げて、自転車10分の距離にある町役場に転職していた。
役場で配属になったのは、ごみの担当課。そこで見たものは、どう考えても納得しかねる環境行政の現実だった。複雑高度化する社会の中、「金なし」「人なし」「打つ手なし」の三重苦に喘ぐ自治体。無策に怒る先進的住民と、反発する保守的住民。国や県から雨あられと降ってくる、現実離れした取り組み調査の山。「もはや常識」のはずのごみの減量は、遅々として進まず、行き場のないごみが、日々、多額の税金で処理され、環境を汚し、資源を食いつぶす。何よりショックだったのは、そんな現実を想像だにせず、それまで基本的なごみの分別さえ守れていなかった一個人としての自分自身。ごみはまさに、現代社会の矛盾と、生活の歪みの象徴のような存在なのだった。
全人類をあげて地球環境を死守しなければならないような時代に、果たしてこれでよいのか?――折しも行われた町長選挙で、革新派の町長が誕生し、町は「ごみゼロ」に向かって大きく動き出す。大好きなこの町が、より良い未来に向かっていくために。様々な人たちの思惑を載せて、小さな町の大きな挑戦が始まった。
ごみをめぐる選択に、「正しさ」はない。ごみは思想、生き方を映し出す。それは、究極的には、人としての生き方、社会のあり方の選択にほかならないのだと思う。今までに経験してきたすべてが、ごみにつながっている。SFCや大学院で触れた様々な思想や理論。多様性と異文化の交流。都市型の生活の享楽。子育て。庭で野菜を育て、近所の友人たちと物々交換をし、毎日を喜び合う郊外の生活の手触り。ごみと無関係でいられるものは、何ひとつない。
思いもよらない形で訪れた転機。すべてを放り出し、人の生活の足元に近づいたとき、初めて見えてきたもの。これまでに得た幸運と幸福を、仕事を通じて、生活を通じて、いかに還元していけるのか。町に、世界に、幸せな変化を起こすために、何が必要なのか。ごみを通して、世界を見据える日々は、まだ始まったばかりである。
※「翻訳論」って、日本にはまだほとんど参考文献が存在しない要注意分野なのです。昨年、頑張って、入門書を1冊訳しましたので、関心のある方は読んでみてください(『翻訳〜その理論・歴史・展望』白水社刊)。
(掲載日:2009/04/02)