SFCスピリッツ
「過去から来た留学生」の4年間
田代治之(芸名:浅井太郎)さん
三味線演奏家
1995年環境情報学部卒
現在、私は三味線の演奏家として活動しています。三味線音楽と一口に言っても色々なジャンルがありますが、主に端唄(はうた)や小唄(こうた)という、江戸中期以降の短い歌謡を演奏しています。一昨年亡くなった祖母(若い頃、横浜の花柳界から芸者に出ていました)の影響で、私は幼い頃から何となく三味線音楽に親しんでいましたが、それが高じ、大学に入ってから三味線を習い始め、ついにはプロの道を選んだ訳です。
SFCのインドネシア語の授業で野村亨先生の教えを受けました。野村先生も子供の頃から三味線音楽に親しんで居られると知り、それから親しくさせて頂くようになりました。後には野村先生が幼い頃に覚えた珍しい端唄などいくつか教えて頂きました。「今、日本でこの唄を知っているのは我々二人しかいないね」と仰り、伝承者の一人となった事に秘かな喜びを感じたものです。
また、野村先生のお母様は、東京芝浦の花柳界で名妓と謳われた方です。残念ながら12年前に83歳で亡くなられましたが、お母様にも私は非常に可愛がって頂きました。昔の珍しい唄や踊りを教えて頂いたり、花柳界やお座敷の様子など色々なお話も聞かせて頂きました。この事が現在の私にどれだけ役に立っているか計り知れません。私が余り熱心にお母様に昔の話を聞くので、野村先生に「君は『過去から来た留学生』だね」と笑われたものです。
言われてみれば「未来から来た留学生」というフレーズのSFCで、私は上記のように「故きを温ねる」日々でした。この姿勢を私に与えてくれる事になった野村先生、お母様との出会いは、私のSFCでの4年間の中で、一番大きく、また大切なことだったと有難く思い出されます。
三味線を仕事とするようになった現在でも、名人上手と言われた先人の芸を素直に愛し敬い、学び励もうという「故きを温ねる」自分の姿勢は変えないようにしようと念じています。古いと言われようとも、それが、良いものを遺してくれた先人への恩返しですから…。
(掲載日:2010/04/05)