小澤弘視
有限会社万両 カオサン東京ゲストハウスグループ 代表取締役
東京ホステルネットワーク 代表
旅人経営者の会 共同主宰
1994年 総合政策学部卒業
1996年 政策・メディア研究科修士課程修了
理想と現実、SFCと旅との往復
SFCで過ごした6年間は、旅に明け暮れる日々でした。夏休み春休みのほとんど旅先で過ごし、そこで見た現実をSFCで学んでいた「政策」や「組織」の話と折り合いを付ける、その繰り返し。旅先のほとんどは、アジアの辺境の地でした。そこで見た世界は、SFCで習う理論よりももっと混沌としていて、希望も絶望も紙一重でした。
SFCで学んだ「問題発見・問題解決」という理念は、この世界に通用するのか?卒業してからも、ずっと頭の片隅に引っかかっていました。
旅人のチカラと、「3.11」の経験
私はいま、日本を訪れる世界中のバックパッカーが宿泊する「ホステル」(ゲストハウス)の運営を手がける会社を経営しています。
2011年3月11日東日本大震災が起こり、外国人旅行者の予約はほとんどキャンセル、ちょうど桜のシーズンが始まるこの頃、本来であれば旅人たちが寝泊まりしている2段ベッドは、ガラ空き状態でした。片やテレビのニュースでは、家をなくした人たちが、学校の体育館に押し込まれて不自由な生活を余儀なくされている。学生時代に旅先で見た混沌たる世界にも通じる光景でした。
震災直後、私たちの宿を被災地から避難して来る方々に開放しました。しばらくして、被災地から逃げてきた人、これから被災地に出向こうとする国内外のボランティアが宿を行き来するようになりました。しばらくすると「現地には行けないが日本を旅して世界に発信することで日本を応援したい」という数多くのバックパッカーが、戻ってきてくれました。
そこでは自然発生的に現地の情報が交換され、同時に「どうにもならない状況に置かれた人」と「どうにかしたいと思ってやってきた人」との心の交流が生まれていました。
「情報のハブ」としての「宿」、旅人が作る平和
宿に集まる人たちは例外なく皆、「旅人」でした。故郷を追われた人も、ボランティアに向かう人も、逃げろと言われても日本で旅を続けるバックパッカーも、家を離れて他所に身を置く境遇は皆同じ。旅人は、旅先が勝手知ったる土地でないがために、「情報」を求める。「情報」をきっかけに人と人との「交流」が生まれ、互いに対する「理解」が深まる。そして、私たちの「宿」は、情報が集まる「ハブ」として機能する。
人々が「相互に理解を深める」ことで、世界が少しでもマシな方向に向かうことができるかも知れない。「問題解決」の糸口がそこにあるような気がします。そして、あの時同じ境遇を共有した旅人たちが、いつの日かまた東北を訪れ、自分の目で見て感じたことを世界に発信してくれることを、切に願っています。
<カオサン東京ゲストハウス> http://www.khaosan-tokyo.com/