プロダンサー・振付師・俳優・インストラクター等
2008年 総合政策学部卒業
2008年 株式会社リクルート入社
2013年 株式会社リクルートライフスタイル退社、以後フリーランスに。
"これから平和への想いを身体でコミュニケーションします。" 当時世界はイラク戦争真っ只中。知識も経験も拙いながらに世界情勢を危惧し、反戦デモに参加。SFC・AO入試の面接官の前に"どすんっ"とラジカセを置いて、そのときの精一杯の気持ちを表現したのは...もう、何年前だろう。
3歳の時ピアノとバレエを始め、中学でストリートダンスを始める。中高一貫校では初代部長としてダンス部を創設。私の人生の中には常にコミュニケーションツールとしての踊りが存在した。
幼心ながら異文化との接触を好んでいた自分は、言語を介さずともお互いの心を通わすことができるダンスという存在を『何て素晴らしいものなんだろう。』と思っていたし、過去舞台の上で、"私ここで死んでもいいかも。"と思える瞬間を、何度も何度も、経験した。
幼心ながら異文化との接触を好んでいた自分は、言語を介さずともお互いの心を通わすことができるダンスという存在を『何て素晴らしいものなんだろう。』と思っていたし、過去舞台の上で、"私ここで死んでもいいかも。"と思える瞬間を、何度も何度も、経験した。
ダンスへの愛は深まる一方で、自分は1つの専門を掘り続ける職人気質からは掛け離れている人間だということも、早くから気付いていた。自分の興味の赴くまま、まだ見ぬ新しい世界を発見することがたまらなく好き。だからこそ、専門を深める芸術系の大学ではなく、他分野同士のコラボレーションで新しい世界を生み出そうというスピリットを持ったSFCに、当時激しく恋をしたのだと記憶している。多様な方向性でチャレンジを続けるSFCの教授・学生に大きな影響を受けながら、自らも在学中からプロダンサーとして仕事に関わる。多くの方の力をお借りした就活を経て、副業としてダンサーが続けられるリクルートに入社。5年半会社員とプロダンサーを両立した。SFCマインドの延長線で自然と働くことができた会社の環境には、本当に感謝している。
アーティストの振付やバックアップダンス、CMや企業イベント出演、ミュージカルや俳優など。退社後色々なジャンルのお仕事を経験させて頂き、現在私は奨学生としてニューヨークのダンス学校に留学中。学ぶことへの欲求は歳を重ねてさらに強まるばかり。同時に、新たなチャレンジとして実験的なパフォーマンスを重ねる日々だ。いくつになっても新しいチャレンジは自分のアドレナリンを放出させ、気持ちを奮い立たせる。
『半学半教』ー私が慶應大学の教えの中で一番好きだった福澤諭吉先生の言葉だ。ダンスを指導する側になっても、学ぶことは永遠と続く。ジャンルに縛られることなく死ぬまで新人の気持ちで勉強し続け、ダンスを中心とするアートと他の業界を繋いで新しい世界を作っていきたい!
踊ることは好きだけど、それ以上に人とのコミュニケーションを愛してやまない自分だからこそできる仕事...。そんなものをぼんやりと模索し続けながら、今後は日本だけでなく、海外も視野に活動を広げ、ダンスと笑顔で人の輪を自然と広げていける人になりたいと思う。