政策・メディア研究科 特別招聘教授 夏野 剛
内閣府規制改革推進会議委員
株式会社ドワンゴ代表取締役社長
担当科目:ネットワーク産業論(春学期)
Internet civilization(アカデミックプロジェクト)
(春・秋学期)
2000年代、私は世界のIT業界のど真ん中にいた。スマホ時代の到来直前。40歳にして就任したNTTドコモの最年少執行役員。世界でも奇跡と言われた、携帯電話によるインターネット接続サービスが大成功し、2005年までには日本人のほとんどがケータイからのネット接続をしていた。今ではウソのようだが、2000年代、日本は世界中のIT業界、通信業界から注目を浴びていたのだ。その頃日本以外の世界各国では、PCからのネット接続と携帯電話による音声通話/SMSに分断されていた。そして、それまで日本のIT業界の中心は良くも悪くもガラケーだったのだ。
2008年3月、iPhoneが日本で発売される直前、私はすでに退社を決意していた。iPhoneのPrototypeとも言える、全く市場では売れなかった2GのiPhoneを手にしていた私は、その後に起こる時代の変化を悟っていた。
通信キャリアの時代は終わったな。
それまで日本の携帯電話業界は、通信キャリア同士の激しい競争が行われていた。豊富な資金と時価総額を持つ携帯電話会社が開発費を投入し、OEM的に自社ブランドのオリジナル携帯電話を次々と市場に投入していた時代。毎年機能が追加され、驚くような新しいサービスが登場し、毎年技術の進化が眼に見える形で新しいネットサービスが市場に投入されていた。
当時世界で主流であったNOKIA、Ericsson、Motorolaと言った、古典的携帯電話専業メーカーはこの日本の動きを警戒し、日本は特殊なマーケットだから世界とは違うという議論を展開していた。
GoogleのCEOであるEric Schmidtから会いたいという話があったのはその前年。既にガラケー向けにサーチエンジンを提供していたGoogle本社では、ユーザーがケータイからこんなに検索するのか、という驚きが巻き起こっていた。
"I respect you."
という言葉から始まったそのミーティングでEricは、日本で起こっているケータイからのネット接続を世界に広げたい。NOKIAやMotorolaは否定的なので、GoogleでOSとアプリを用意して日本、韓国、そして中国メーカーに無料で配布したい。全面的に協力して欲しい、と頼んできた。ケータイ開発費の高騰に悩んでいた私は二つ返事でその申し出を受けた。Androidプロジェクトの始まりである。
同じ頃Steve Jobsがケータイを出したがっている、という情報も業界内ではささやかれていた。日本の携帯電話を分解して徹底的に分析している、と。
また親交のあったSamsung Mobileの社長も、日本のケータイをよく見ろ、シェアが上がっていると言っておごるな、こういうケータイをお前らはまだ作れていない、と私の眼前で幹部に檄を飛ばしていた。
一方日本の携帯電話キャリアは資本提携による世界進出に出遅れ、そもそも英語もできない経営陣にそんなことができるわけもなく、奇跡の日本ケータイの世界的名声も色あせ始めていた。
このiPhoneは、売れる、っていうか、欲しい。
素直にそう感じた私は、辞め時だな、と思っていた。近しい人たちにその意向を伝え始めた時、日経新聞に、夏野氏退社へ、という記事が顔写真入りで出てしまった。
その騒ぎを避けるように、会議のためパリ行きのAF深夜便に乗り込んだ私は、偶然、村井純先生と乗り合わせてしまった。しかも前後の席。
「おー、ちょうどいいところで会った。なにあの記事?あれほんと?辞めんの?」
きらきら光るつぶらな瞳で、ニヤニヤしながら話しかけてくる村井先生。
「いやあ、もうちょうどいい時期だと思うんですよね」
「じゃ、SFC決定ね。よろしく」
そんなご縁も重なって、その後SFC特別招聘教授に就任することになった。
3ヶ月後、iPhone3Gが発表され日本でも売り出された。スマホ時代の始まり。
6社のIT系上場企業の取締役に就任した私は、引き続きIT業界の中に身を置くことになる。Twitterのフォロワーは50万人を越え、炎上もざら。
担当させて頂いているネットワーク産業論はすでに11年になるが、お陰様で毎年たくさんの学生の皆さんに受講希望頂いている。また、何よりも、慶應の立場を持たせて頂いたことで、オリパラ組織委員会、内閣府規制改革推進会議のような政府の委員会、W3Cのような標準化団体のボード、ダボス会議への参加、未踏人材発掘育成事業の統括PM、果てはテレビのコメンテーターまで、多様な活動をさせてもらっている。
ちなみに学生諸君の中では「ネト産」と言われているそうだが、私が担当させているネットワーク産業論の話も加えさせて頂く。ITやネットワークといった新しいテクノロジーが、私たちの生活のあらゆる場面に大きな影響を与えていることは皆さんご存じの通りであろう。テクノロジーは社会、産業、経営、教育システムのあり方を根本的に変え、さらには人間関係や恋愛のあり方までも変えている。その影響を定量的にも定性的にも分析し、考察し、未来に繋げていくための土台となるのがネットワーク産業論だと思っている。様々なデータを駆使し、新しいテクノロジーから複雑系理論に至るまで、多角的に現代のネットワーク経済社会を理解できるように講義を構成しているつもりである。また、IT業界に限らずさまざまな分野で活躍するゲストスピーカーもお招きし、最前線の今を理解できるようにも配慮している。是非受講を検討して頂きたい。
12年の慶應経験から言えることは、SFCは多様性の塊であるだけでなく、可能性の塊であることだ。他のどの大学にもない多様性もさることながら、様々な可能性を持ったファカルティと学生のコミュニティ。この先生がこんなとこでこんなことやってるのか、と驚くようなことをしでかすファカルティ。こんな卒業生が、こんな学生がこんなとこでこんなことやってるのか、と驚くようなことをしでかす学生。まるで、狐と狸の化かし合い、いや、破天荒な先生と超生意気な学生の果たし合いか。なにしろ授業を担当していても学生の反応がおもしろい。同じように私の授業も学生諸君が楽しんでくれることを渇望している。
慶應義塾は日本が誇る大学であり教育機関である。さらにSFCはその慶應義塾の中でも非常にユニークな存在だ。SFCコミュニティはすでに30年の歴史の中で世界のIT業界に、そして日本社会に大きな影響を与えてきた。これまでも、そしてこれからの日本のためにもっとも重要で、そして可能性のあるこのようなSFCコミュニティに所属していることを大いに誇りに思い、その伝統と可能性をさらに強化できるよう微力ながら貢献していきたいと常に思っている。
早稲田出身でごめんなさい、と時々思いながら、、、。