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2022.03.31

SFCを使い倒す|山崎 聡一郎さん(2016年総合卒業)

山崎 聡一郎 さん
「こども六法」著者/ミュージカル俳優/合同会社Art&Arts代表
2016年 総合政策学部 卒業

「親の言いなり」を脱して「主体的な人生」を獲得する

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第一志望校への不合格。
私のSFC生活は大学受験の挫折からスタートしました。
元々SFCに進学するつもりはなかったのですが、家族からの強い意向で、仕方なくSFCに進学しました。苦しかったのは、SFCまで実家から片道3時間を要するにもかかわらず、経済的な理由から一人暮らしが許されなかったことです。

「往復6時間、大学四年間のうちの一年間は通学。第一志望に落ち、どうしてこんな大学生活を送っているんだろう。」

写真1.jpgそんな惨めな通学時間に耐えかねて、キャンパス付近に住んでいた友人宅を転々としたり、六法を枕にして研究室に泊まり込んだりする日々を始めました。でも、それが「家族の意向」に左右されていた私の「主体性」を鍛えることに役立ったと思います。

SFCに来た意味は、自分で見出さなければならない。せっかく入学したからには、SFCを使い倒す。そう決意を新たにしてから、私の世界は広がっていきました。

SFCから始めたこと

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私の研究テーマは一貫して、「法教育を通じたいじめ問題解決」です。SFCにはそのものズバリ「法教育」を扱った研究会も、「いじめ」を扱った研究会もなかったので、「情報法」を扱う新保史生研究会と、「学習環境デザイン」を扱う藁谷郁美研究会の二つの研究会に所属して研究を進めました。この二つの研究会でハイブリッドに研究をしていたからこそ、「こども六法」のような「教材を開発する」という関心が高まっていったように感じます。

三年・四年生時には教育奨励基金「学習・研究奨励金」を受給し、「こども六法」「こども六法すごろく」を製作。後にそれぞれが弘文堂・幻冬舎から刊行され、合計75万部超の発行部数となりました。これらの書籍で私を知って頂いた方から、学校での講演会や出張授業、教員研修などの依頼も頂くようになったのです。

「こども六法」は私自身の名前よりも有名になり、私の名刺のように、活動の支えとなっています。でも、「こども六法」の原点は紛れもなくSFCにあります。それは、研究資金というサポートや協力者の存在だけでなく、「こども六法」という発想をそもそも可能にした、創造に対する文化のお陰なのです。

SFCでやったすべてを、SFCを出てからも

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大学を卒業してからは、劇団四季でミュージカルの舞台に立つなど、俳優としての活動の機会もありました。現在はArt&Artsという会社で新作ミュージカルを作ったり、コンサートやライブを企画運営したりしていますが、ミュージカルサークルでの経験や、三田まで通って活動した慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団での活動経験が活きています。

大学時代の同級生たちとの切磋琢磨や協働は、常に私にとっては刺激的な経験です。また、音楽を通じて結婚した妻の実家近くで研究会の先輩が赴任しており、さらに妻が幼少期から通っていた書店の専務がSFCの出身と縁が広がり、学校教育と校則・ルールを考えるシンポジウムを開催したこともありました。他にも、大学時代に授業を通じて大変お世話になった下村健一先生には、新たな取り組みとして進めている「こども六法スクール」という法教育学習塾でも講師として参画して頂くなど、SFC時代の繋がりをフル活用して、現在の活動があります。

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SFC生の皆さん、SFCを目指す皆さん。いや、SFCに限らず、すべての高校・大学生の皆さんには、今いる環境を貪欲に使い倒す図々しさを持って欲しいと思います。今の環境でどれだけ多くのことを、どれだけ深めたか。どれだけ多くの人たちと、どれだけユニークな関係を築くことができたかが、大学を卒業した後にも活きてくるはずです。

参考URL(山崎聡一郎プロフィール)