末吉里花 さん
一般社団法人エシカル協会代表理事
日本ユネスコ国内委員会広報大使
1999年 総合政策学部 卒業
暮らしを通じて地球規模の課題を捉える
一般社団法人エシカル協会を立ち上げ、「エシカル」という言葉・考え方の啓発活動を行っています。ご存知のように、世界には気候変動や生物多様性、人権侵害など、地球規模で考えなければならない問題が山積しています。ただ、これらは主語が大きくなりがちで、問題として認識しつつも、個人レベルではなにをやったらいいのか、どう捉えたらいいのかわからなくなってしまうことも少なくありません。私たちはこれに対して、消費者生活者の立場から、暮らしを通じてコミットメントしていくことで、問題の解決の一部になることが可能なのだということを、ひとりでも多くの方に伝える活動をしています。
普段私たちが食べているものや身に付けているものが、どういう過程をたどって私たちの元へ届くのか。それを具に見ていくことで、消費生活者としての選択肢を捉え直すことができます。お店に並んだ2つの商品で迷っているとき、かつての消費生活者は「より安い」「よりお得な」方を選択するものだと思われてきました。しかしエシカルな消費というのは、そこにもうひとつの選択基準を設けます。「より正しい」「より良い」商品はどちらなのかという軸です。商品が私たちの手元に届くまでに、「不当な搾取が行われていないか」「回復不可能なまでに資源を枯渇させることにならないか」など、人や地球に配慮しているか、商品の裏側の情報を知ることが、消費の在り方そのもののアップデートへとつながるのです。個人としての選択と、地球規模で考えるべき課題を結び付けるときに、カギとなるのが「エシカル」という考え方だと思っています。
消費生活者、企業、行政に直接働きかけていく
エシカル協会の活動は、「知る機会」の提供です。協会創立当初から行っているエシカル・コンシェルジュ講座は、持続可能な世界の実現を私たちの暮らしのなかから考えていくもので、各分野の最前線で活躍している方々を講師としてお招きしています。消費生活を捉え直す教育プログラムとして、これまでにのべ15000人以上の方に受講していただいています。
また、それと並行して講演活動も行っており、自治体や教育機関、そして企業にも依頼をいただく機会が増えました。やはり消費生活者だけでなく、企業事業者が変わっていくこともとても重要で、双方に直接的に働きかける立場にいることで、エシカルな考え方を立体的に捉えられると思っています。
こうした私たちの立場で得た知見を活かすために、各行政機関との連携を強めています。各省庁の審議会や研究会などの委員を務め、国や自治体に声を届ける役割も担いながら、より実践的に法律や制度などに持続可能な社会を目指しています。
価値観を変えたキリマンジャロ山頂の光景
私がエシカルという価値観に共感するきっかけとなったのは、『世界ふしぎ発見!』(TBS系列)でミステリ―ハンターを務めていたときの経験が大きいと思います。世界の秘境と呼ばれる場所を訪れるなかで、一握りの権力や利益のために、美しい自然や弱い立場の人間が犠牲になっている様子を目の当たりにしてきました。
なかでも最も大きいショックを受けたのは、2004年のキリマンジャロ登頂の経験です。標高約6000メートルのキリマンジャロ山頂部には氷河があるのですが、地球温暖化の影響で急激に縮小してしまっていました。氷河の雪解け水はふもとの集落の生活用水の一部でもあり、氷河の縮小は彼らの死活問題でした。1900メートル地点にある小学校を訪れたときに、子どもたちが祈りながら木を一本一本植えている様子を見たときには、胸が締め付けられる思いでした。
キリマンジャロ山頂で実際に見た氷河は、100年前の1~2割ほどにまで縮小していて、大きなショックを受けました。しかし同時に、山頂からの景色に、地球はすべてつながっているという思いも強くしました。地球規模の問題であっても私にできることがあるはずだと、自分の足を使って取り組んでいくことを決意しました。
正解のない問題を、考え続けるということ
SDGsというのは2015年に国連で採択された目標のことです。一方で、エシカルというのはそうした目標達成の大元となる価値観を指します。直訳すると「倫理的な」という言葉であって、指し示す範囲は広いです。
企業の方とSDGsの話をすると、「私たちは目標の何番と何番に取り組んでいます」みたいな話になりがちなのですが、実際の問題としてはそんなに明確なものではありません。すべての問題はつながっているので、木を見て森を見ていなかった、とならないように、課題解決には、環境、社会、経済のそれぞれの側面を包括的な眼差しで見る必要があります。
私は「エシカルって何?」と問われたら、「エいきょうをシっかりカんがえル」ことだと伝えています。「常に正しい答え」というものがないなかで、世界がいまより少しでも良くなる方向を考える。この考え続ける姿勢を、私たち消費者の立場から率先して作っていければ、間違いなく世界は変わるはずです。
予測不可能な世界を生きるために
私はSFC6期生になるのですが、当時は「パラダイムシフト」というのがスローガンになっていました。正直その頃はピンと来なかったのですが、いまになってその意味が理解できてきた気もします。パラダイムシフトというのは、これまでの延長線上に世界を描くのではなく、まったく新しい転換を必要とします。既存の枠組みで物事を捉えるのではなく、あらゆるものを横断・複合的に捉えて考えていく視点が必要になります。学生時代は、草野厚先生の国際関係論や国際協力論が印象的でした。のちに『白熱教室』(NHK)といった番組にもなりましたが、草野先生の授業は教員と学生が「教える/教わる」の関係になく、学生同士の対話が主となって進んでいくものでした。教員がファシリテーターとなって進む授業というのは、当時の学部のものとしては画期的だったのではないでしょうか。
世界はいままさに、大きく変わろうとしています。地球規模の課題が山積していますが、同時にどう対策を講じるべきかという視点が共有されています。めまぐるしく変わる状況に応じて、最善の一手を考えていくこと。これが、これからを生きる私たちに求められる姿勢だと思っています。
多様性を育むキャンパスで、あるべき社会を描くこと
私の学んできたSFCは、多様性ある学び舎だったと思います。当時は多様性という言葉も一般的には使われていませんでしたが、各々、自分の興味の赴くままに学びを深めていく姿勢と、そしてそれを尊重する様子は、まさに多様な社会の在り方を感じさせるものでした。その意味において、これからの社会のあるべき姿を考えるには、SFCで学生時代を過ごすことは大きいかもしれません。学生時代の私は、特に社会意識が高かったわけでもありませんし、いまでは間違っていると思える選択も多々していたと思います。現在このような活動をしているなんて、当時の私からは想像もできません。ですが、SFCの多様性を重んずる姿勢を思い返すと、その気質自体は、いまの私にも通底している気がしています。
多様性というのは、人はひと、私はわたし、ということだけではありません。みながそれぞれの問題に当事者意識を持って取り組んでいる状態であり、それを尊重するということです。SFCが育むのは、まさにそうした当事者意識の持ち方だったと言えるかもしれません。現状が危機的状況にあることは、みな共有していることでしょう。それを変えていくのは、「誰か」ではなく「私」に他なりません。全員が、この問題に当事者意識を持った瞬間に、世界は大きく変わっていくことでしょう。