様々な空間知覚を研究する
私は、現在、数理心理学的視点を中心に『空間知覚』を研究しています。
知覚とは、外部の情報を捉えること、具体的には、触覚・聴覚・視覚・味覚・嗅覚からなる感覚、いわゆる五感や、平衡感覚などのことを指します。私はこの中でも視覚を中心に研究しています。
現在、視覚の中でも特に『空間知覚』にフォーカスをあて、大きく分けて3つの研究を行なっています。
1つ目は、"視線知覚"の研究です。これは、人が互いに向かい合った状態で、相手の視線がどこにあると認識するのかに関する研究です。例えば、今、私が(インタビュアーの)鼻を見て話をしているとします。でも、視線の受け手側はおそらく「私が目を見て話している」と認識するでしょう。このような視線の受け手と送り手の間で生じる知覚の齟齬は、視線の送り手が受け手ではないどこかを眺めている場合にも生じています。私は、この齟齬をどのように解釈すればいいかを、実験で集めたデータに数理的な分析を加えながら探っています。
2つ目は、"視空間"と呼ばれるものです。人は、外部の空間に置かれたモノがどれくらい離れた距離にあるのかを目で見て認識しています。これは当たり前のようで、実はとてもすごいことをしています。私たちが奥行きを認識する際、まず、三次元的な広がりをもつ外の空間の情報は、目の網膜上では写真のような二次元、つまり、平面に変換されます。そして、網膜に映った二次元的な情報を、脳の中でもう一度三次元的な情報として構成していきます。この、目で見た広がりのある空間を視空間と言い、私は、それらの知覚的なメカニズムや性質を明らかにしようとしています。
もう1つは、"ベクション"といわれる現象です。この現象は、例えば、駅のホームに停車している車両に乗っている時、その車両は動いていないにも関わらず、対向車両が目の前で動きだした時、自分の車両があたかも対向車両とは逆の方向に動いているように感じるというものです。外界が一様に移動する様子を目で見て、空間内で自身の移動を把握することから、ベクションは空間知覚の重要な要素であることが伺えるのではないでしょうか。私は、ベクションと身体運動の関係について、九州大学の妹尾武治准教授と共同で研究しています。
"視空間"や"ベクション"の研究は、バーチャルリアリティ分野への応用が考えられます。ヘッドマウントディスプレイや4K、8Kのテレビといった、今流行している映像デバイスの見え方や奥行き感の評価や映像技術の開発に寄与できるのではないかと考えています。
視線理解を紐解くことで、発達障がいのある子どもたちのコミュニケーションの苦手さを解明したい
"視線知覚"の研究は、発達障がいのある子どもたちの社会性・コミュニケーションの研究への応用を見据えています。そのため、大学生だけでなく発達障がいのある子どもたちに対しても調査を行っています。発達障がいのある子どもたちの一部は、社会性やコミュニケーションを苦手としており、彼らがどのようにモノを見て、知覚した上で、コミュニケーションをとろうとしているのかはまだ明らかになっていません。このメカニズムを解明するための基礎となる部分をつくり、発達障がいのある子どもたちに対する療育支援に役立てていくことができればと考えています。
現在の研究に辿り着いたきっかけは、環境情報学部時代から現在まで発達障がいのある子どもたちの療育支援に取り組むの中で、"支援"のあり方に悩んだことにあります。本人や保護者が求める支援とは何なのか、そもそも"支援"が必要か、必要じゃないかという点にも疑問が生じてきました。これを考えているとき、子ども一人一人がどのようにものを感じているのか、どのように見えているのかを知ることが、その子どもとの関わり方や支援のあり方を見つめ直すことに繋がるのではないかと思ったのです。
その上で、コミュニケーションで特に重要な役割を担う"視線"に着目し、その"視線"を理解するための基盤を解明したいと考え、現在の研究をスタートさせました。その過程で、サイコスペースプロジェクトの濱田庸子先生や森さち子先生をはじめとした、色々な先生との出会いがあり、複数の分野にまたがる研究を深めながら今に至ります。
なので、最初から明確に『空間知覚』を研究しようと思っていたわけではなく、試行錯誤の中で気付いたらここに辿り着いたという感じですね。
実は、研究を始めた当初(環境情報学部1年時)は、子どもを対象にした研究をしたい考えて、0歳から3歳までの赤ちゃんとその保護者の母子関係・父子関係を観察していました。それから、発達障がいの療育支援に関心を持ちました。当初の研究テーマと現在の研究テーマは一見全く違うように思われるかもしれませんが、私は深く繋がっていると思います。発達障がいのある子どもをどのように理解していくのか。医学、心理学、教育学など様々な切り口から解釈がなされています。私は、『空間知覚』の視点を取り入れています。空間知覚の視点を取り入れることで、数理的な解析や視線知覚の解釈が新しくなると考えています。このような視点は珍しく、もしかしたら、これまで捉えきれていない様々な現象や特性が含まれているかもしれない。発達障がいのある子どもたちの研究に『空間知覚』の視点や数理心理学的視点を組み合わせることで、これまでにない新しい世界が見えてくるのではないかと感じています。
SFCだからこそ研究できた「数理心理学」という分野
SFCで大学院に進学する際、一番の決め手は、現在の指導教授である渡辺利夫先生から大学院進学のお誘いを頂いたことでした。
渡辺先生は、日本における数理心理学の第一人者であり、この分野で長い間第一線を走ってこられた先生です。数理心理学は、人間の様々な心理現象を数理解析の手法を用いて分析し、その現象をよりよく解明できるようにする学問です。この分野を専門に研究されている先生がいる大学や研究所は、世界的にもごくわずかに限られているのが現状です。日本の中でこの分野の研究をしようと考えると、やはり、渡辺先生がいらっしゃる政策・メディア研究科に進学するしかなかったかなと思います。
私自身は、数理心理学という学問、特に『空間知覚』という分野でこの数理心理学をしっかり引き継ぎ、発展させて行きたいと思っています。
渡辺先生ご自身が、非常にストイックに研究に打ち込む方です。渡辺先生からは、「一に勉強、二に勉強、三に勉強、四に勉強」と言われ、熱血指導を受けてきました(笑)。
渡辺利夫研究室に所属し、最初に言われたのが「1日最低8時間は勉強・研究しなさい」ということでした。「他のことをしてもいいが、8時間はかならず自分で学んで吸収した上で、研究を進めていきなさい」という教えです。この教えはすごく印象に残っています。
研究に協力的な仲間と、研究に集中できる環境が揃っている
私の研究は、研究を進める上で、解析の基礎となるデータを得るための心理実験が必須になるので、その実験に参加してくれる協力者を探すところからスタートします。1つの実験で最低20人以上、様々な条件をそろえたりすると、一本の論文を書くのに、最終的には80人~100人にご協力いただくこともあります。発達障がいの子どもを対象にした実験などは、外部の福祉施設と共同で行なっていますが、一般成人を対象とした実験の多くはこのキャンパスを歩いて、実験に参加してくれる協力者を探してまわることも多いです。
実験で集めたデータは、自分で書いたプログラムを解析ソフトに打ち込み、分析してゆきます。そこで確固たる現象が見えてきたら、次の段階として実験の対象やメカニズムを深く探っていきます。
このSFC内の建物のベランダで非常に遠くまで景色が見渡せる場所があるのですが、そこに立ってもらって、指定した建物までの距離がどれくらいだと感じるかという実験もやりました。これは、視空間の研究です。例えば、300m先にある建物、5km先にある建物、それぞれどれくらいの距離だと感じるかを調べていきます。横方向にどれぐらいの角度をなしていると感じるのかというのもやりましたね。
この実験は、目線の位置あたりに広く見渡せるだけの空間がないとできないので、大きな建物に囲まれた都内のキャンパスでは実施が難しいでしょうね。このキャンパスならではの実験といえるかもしれません。
SFCは非常に静かな場所にあるので、パソコンのデータと向かい合ったり、プログラムを書いたり、発表資料を作ったりするために集中する上で、非常に快適で申し分ない環境だと思います。
また、私自身、学部時代に競走部で陸上の短距離走をやってきたこともあり、運動せずにはいられないところがあります。研究に煮詰まったとき、SFCのアリーナ(体育館)にあるトレーニングジムを利用して、頭の中をリフレッシュした状態で、研究活動に再度戻ってくるようにしています。
もう一つ、助かるなと感じているのは、キャンパス内に私の実験に興味を持ってくれる方々が非常に多いことです。研究を進める上で、どうしても実験に参加してくれる協力者を集める必要が出てくるのですが、そんなときに、食堂や生協にふらっと歩いていって声をかけても、すぐに「いいですよ」といってくれる方がいたり、実験内容を聞いて「面白そう」といってくれる方がいたり。他の人が研究しているものに対して、すぐに興味を示し、実験に参加するという雰囲気があるのは素晴らしいです。
他の大学院生と積極的にコミュニケーションをとることを心がけています。基本的には、1人で研究していることが多いのですが、タウ館(大学院棟)のロフトに行けば、様々な分野を研究する大学院生がそれぞれの研究をしています。そこに行って、みんなが頑張っている様子を見たり、ざっくばらんに会話をしたりすることで、自分自身のモチベーションが高まりますね。
基礎研究は、ピラミッドの土台作り
直近では、今年度中に博士号を取るのが大きな目標です。数理心理学という学問の分野に貢献できる論文・研究成果を生み出せる研究者になりたいと思っています。まずは、しっかりと基礎的な研究を中心に進め、その次の段階として、実際にどのように生活に役立つ応用研究や技術開発に繋げるかを考えて行きたいと思っています。
この基礎研究を中心にするというのには、私なりの哲学があります。
ピラミッドで言えば、基礎研究は一番下の土台になる部分であり、応用研究はその土台の上にモノを乗せて、どんどん山を高くしてゆく部分であると考えています。土台となる基礎研究がなければ、次の応用研究を積み上げることはできません。
だからこそ、しっかりその応用研究を乗せるための土台の裾野を広げ、強固なものにしていくこと重要視しています。さらに、欲を言えば、その新しい土台に乗せられる応用研究はこんなものがあるというのを見せられるようにしたい。そのために、「土台を作りながら応用研究の芽を生やす」ことを私の研究スタイルにして行きたいと考えています。
あなたにとって、政策・メディア研究科とは?
私にとって、政策・メディア研究科とは、とことん研究に打ち込める環境です。
私自身のバックグラウンドを活かし、可能な限り様々な手法を吸収しながら、充実した研究ができています。また、様々な先生方や仲間が暖かく、時には厳しく接してくれます。納得するまで白熱した議論をすることもできる。だから、研究に熱中することができる。このような空間が政策・メディア研究科です。
研究室紹介
キーワード:心理現象の数理解析, 空間の知覚と認知, ライフデザイン
研究内容:本研究室では、心理現象の数理的解析をベースとして、知覚や認知を探求する心理実験や、人間の内面を探求する心理測定尺度の作成を行っています。
参考URL、業績等
- 渡辺利夫環境情報学部教授
- 森将輝
- 日本学術振興会 特別研究費奨励費
- 視線知覚×空間知覚
2016年 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 相磯賞
森将輝・渡辺利夫 (印刷中).視線知覚空間の異方性 基礎心理学研究,1-12.
森将輝 (2016).視線知覚空間の幾何学的性質.慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士論文.
Masaki Mori & Toshio Watanabe. 「Different Property by the Axis Direction Crossing Diagonally Each Other in Gaze Perceptional Space」、『The 41st European Conference on Visual Perception』、POSTER SESSION 4 No.174A、Trieste, Italy、26th-30th August 2018
視線知覚×発達障がい
2017年 第27回日本乳幼児医学・心理学会 優秀発表賞
森将輝・高橋麻李衣・濱田庸子、「発達障害児の視線知覚に関する探索的研究」、『第27回日本乳幼児医学・心理学会』、一般演題2-⑤、大正大学、東京都、2017年12月9日
視空間及び奥行き知覚
森将輝 (2014).グラデーションや肌理のある台形の奥行き知覚特性 慶應義塾大学環境情報学部卒業論文.
Masaki Mori & Toshio Watanabe. 「Anisotropy in Visual Space with Near and Far Landmarks」、『The 40th European Conference on Visual Perception』、29th_POSTERS_17:00-18:00_99、Berlin, Germany、27th-31st August 2017
ベクション×身体運動
Mori, M. & Seno, T. (in press). Inhibition of vection by grasping an object. Experimental Brain Research, 1-7. doi:10.1007/s00221-018-5375-3
森将輝・妹尾武治 (2017).身体姿勢の違いがベクションに及ぼす影響 日本バーチャルリアリティ学会論文誌,22(3), 391-394. doi:10.18974/tvrsj.22.3_391
Masaki Mori & Takeharu Seno. 「Inhibition of Vection by Object Grasping Movement」、『The 33rd Annual Meeting of the International Society for Psychophysics』、I-28、Fukuoka, Japan、22nd-26th October 2017