「なぜあの時、無理を押してプレーしてしまったのだろう?」という疑問はずっと残っていました。
高校3年生の春、念願だったセンバツ高校野球に選手として出場しました。そして3年生になって最後の夏の予選に向けた準備を進めていましたが、5月に膝の前十字靭帯を断裂。治療方法の決断に迫られましたが、目前の予選に出場したい一心から手術を回避してプレーを続行しました。この判断が結果的には怪我を悪化させてしまい、チームも地区予選で敗退。リハビリを進めていくうちに、さまざまな問題意識を持つようになりました。
いつか慶應義塾大学の野球部でプレーしたいという憧れがあり、文理融合でさまざまな学びが得られるカリキュラムに興味を抱いたことからSFCへの進学を志望しました。AO入試では自分が体験した怪我への葛藤を説明し、その問題意識を受け入れていただきました。入学後は体育会野球部に入りましたが、膝の手術を繰り返して2年生で選手生活を断念。それ以降はチームのサポート役に回りました。高校時代に保存療法を選択した判断や、「なぜあの時、無理を押してプレーしてしまったのだろう?」という疑問はずっと残っています。このような怪我が原因で、野球を続けられなくなる人は他にもたくさんいるのではないか。周囲の環境を含め、怪我をした選手がなぜプレーしてしまうのかという心理的な問題を研究対象にしました。
4年生から所属した東海林祐子研究会は、ライフスキルプログラムやコーチングが専門です。さまざまなスポーツ経験者が集まるため、他の競技分野から学べる機会も多くありました。大学院に進んでからの研究テーマは「高校野球指導者における投手起用の判断基準の検討―高校野球指導者のネットワーク形成と怪我認知の関連」。高校野球の指導者や選手を対象にしたインタビューを実施し、選手の怪我を減らすためには何が必要なのかを検討してきました。
野球はスポーツよりも大きな人材育成の手段であり、試合に向かう過程でさまざまな学びがあります。
自分自身のケースを振り返ると、高校時代は甲子園でプレーすることが目標のすべてでした。今振り返ってみると、とても狭い世界で野球をやっていたことに思い至ります。野球というスポーツには、もっと幅広い捉え方があるはずなのに、選手みずからそのような環境を選んでいた側面もありました。野球はスポーツよりも大きな人材育成の手段であり、試合に向かう過程でさまざまな学びがあります。目前の結果より、スポーツの外部にある世界の広さを教えるのも指導者の役割。双方向のコミュニケーションを大切にし、ひとつの視点に偏らないような形で判断するのが大事だと学びました。
怪我が原因で選手を諦めてからは、慶應義塾大学野球部のコーチとして活動してきました。実際に指導者として現場に立ちながら、研究で得た知識を実践する機会にも恵まれました。卒業後は、高校野球の指導者として活動することが決まっています。選手が成長できる場所を作り、選手の行きたい場所に導いてあげるのが指導者の仕事。慶應義塾大学で学んだ6年間の知識を存分に活かし、日本一の指導者になることが目標です。現在の高校野球に、より良い風を吹かせられるような存在になりたいと思っています。
研究室紹介
キーワード:ライフスキルプログラム、コーチング
パフォーマンスの向上を目指す過程で発生する「コーチングのジレンマ」を紐解き、スポーツを通じて、ヒトとの関係性を高め、社会に還元することを目指しています。ここでいうパフォーマンスとは、スポーツ場面だけに特化せず、ヒトとの関係性が求められる企業や家族などを含めた組織のあらゆるケースについて検討をしています。